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講座の初日、私は少し緊張していた。
クラスに入って、みなさんの水をうったような静けさや、いま自分の目の前で、じっと私を見つめている人々に、当惑をおぼえたわけではない。自分のことばが熱心に聞かれている。と同時に、中田 耕治という、見たことも聞いたこともない、もの書きが、何をしゃべるのか、観察している。
私は、熱心に、自分の知っていることをつたえようとしていた。
みなさんが、おそらく一度も考えなかったことを、この教室ではじめて考えてもらおうとしている。「文学の楽しみ」について私の考えていることを、みなさんとおなじように味わうことができるだろう。

むずかしい話はしなかった。さりとて、話のレベルをさげるつもりもなかった。
ただ、短い時間のなかで、できるだけいろいろな話をしようとしたのだった。

聴講している人たちが、だいたい高齢者だったので、その人たちが関心をもってくれそうなことをえらんだ。川端 康成の「浅草紅団」の一節を読んでもらう、ときに――
昭和初年のエロ・グロ・ナンセンスの風俗を描いた細木原 一起と、「戦後」になって、かつての昭和初年の風俗を描いた杉浦 明雄のマンガといっしょに見てもらう、というふうに。

この講座は、わずか4回だったから、すぐに終わってしまったが――いちおう責任は果たせたという満足感もあった。その反面、あれも話せばよかった、これもとりあげたほうがよかった、と残念な気もちが残った。もっともっと語るべきことも多かった。
大学などでの講義と違って、いろいろと反省すべきことも多かった。
そして、このクラスに参加してくださった方々に心からお礼を申しあげたい。

あらためて、船橋の中央公民館の塙 和博氏に感謝している。