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宇尾さんは、昨年の十月に亡くなったという。
その十月、私にあてた手紙のなかで、

 

女学校時代に依田という怖い老嬢先生に教わったことで、恐怖心が植えつけられ、外国語と親しくなることができずに一生を終ろうとしております。でも、外国の小説は好きですので、中田先生をはじめ、翻訳家の方々のおかげをいただいているわけでございます。
中田先生のお弟子さま方もすぐれたお仕事をなさり、よき師に恵まれた皆様のお幸せをおもわずにはいられません。そのオデュッセウス氏さまのお一人、高野 裕美子さまの早すぎる死にはどんなにお心をいためられたことかと、お心の内をお察しいたしました。
中田先生のお書斎で一緒だった、あの方が高野さんだったのかしら、とふっと思ったりしております。

 これが私あての最後の手紙の一節だった。
高野 裕美子は、私の周囲にいた女の子のひとりで、後年、作家になった。ミステリー大賞をうけてまもなく亡くなっている。高野 裕美子のことにふれながら、宇尾さんはひそかにご自分の死を見つめていたのではないだろうか。
宇尾さんから、よく手紙をいただいた。私がさしあげた雑誌の感想、私の作品に対する批評が綺麗な字で書かれている。私はいつもありがたく読んできたが、もう宇尾さんから二度と手紙をいただくこともない、と思うと、何かしら、涙ぐむような思いでむねがいっぱいになった。手紙をいただきながら、私からはろくに礼状もさしあげなかった。宇尾さんは、たいていの場合、私の作品を褒めてくれたので、お礼をいうのは気恥ずかしいことであった。だから、あらためてお礼も申し上げなか