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親しくなったばかりの友だちの姉さんの裸身を見てしまった。窓は、まるで汽車の寝台のようにカーテンが吊ってあり、若い娘の部屋らしいデザインのチュリップの花の刺繍に、白い鳩が差し向きになっている。私はそこまで見届けていた。

私ははじめて女の乳房を見たのだった。ただし、女の乳房を見たという思いはなく、U君の姉さんの胸に見たこともない白いふくらみがあるということに気づいて、ぼんやり眺めていただけだった。
そのふくらみの先には、ほのかなピンク色の蕾がついていた。そこまで見て、私はそれが乳暈で、その先に小さな乳首がついていることに気がついたのだった。
時間にして、ほんの二、三秒ぐらいではなかったか。

いつものように、U君がくぐり戸から出てきた。私はU君か出てきたことに気がつかなかった。まだ、二階の窓に眼を向けていた。U君の姉さんは、くぐり戸をぬけたU君にも、まったく気がつかなかったらしい。
U君の姉さんは何かを手にして、それを胸に当てた。まだブラジャーということばではなく、乳当てと呼ばれていたものだった。姉さんが乳当てを胸もとに当てがうと、たちまち綺麗な乳房が見えなくなった。
U君は私の視線を追って、私が何を見ていたのか気がついた。U君の顔が真っ赤になった。

姉さんがブラジャーをつけるところを友だちに見られた。その恥ずかしさが、U君が赤面した理由だった。私は顔を真っ赤にしているU君の反応に驚いた。

その頃に、ブラジャーということばはなかった。ほとんどの場合、「乳おさえ」、あるいは「乳バンド」といっていたはずである。それも、日常の会話でこうしたことばが使われることはなかった。
だから、顔を真っ赤にしたU君が「行こう」とだけ声をかけて、いきなり走り出したとき、姉さんがブラジャーをつけるところを友だちに見られたというふうにU君が考えたとは思えない。ただ、どうしようもない羞恥に混乱していたのだろう。私は少しうろたえていた。
U君が「行こう」と声をかけて、停留所まで走り出したので、あとを追った。
電車に乗ってからも、U君は私に眼をむけなかった。
それからあとのことは、よくおぼえていない。

翌日から、U君は私を避けるようになった。
翌朝、いつものように門の外から声をかけたが、意外にも、
「もう出かけちゃったのよ。ごめんなさいね、中田君」
姉さんが返事をした。
私はU君の姉さんの顔を見なかった。こんどは、私が乳房を見てしまったことを思い出して、ひどい羞恥にいたたまれない思いで路地から離れた。

そんなことが、二、三度続いて、U君か私をきらっているらしいと気がついた。
それからはU君を誘って学校に行くことがなくなった。
姉さんの二階の窓も二度と開け放しにされなくなった。
それまで親しくしていた友人が不意に離れてしまった。私はそのことがショックだった。U君は私をきらっている。彼にも私にも、うまく説明のつかない理由で。

翌年、父が外資系の会社から国策会社に移ったため、一家をあげて東京にもどった。
私は神田の中学に転校した。その後、U君のことは思い出さなかった。

いまの私は、U君の姉さんの顔もおぼえていない。ただ、真っ赤になったU君の顔を忘れてはいない。あの日はおそらく夏休みの少し前だったのではないだろうか。さわやかな朝、U君の姉さんの綺麗な乳房を見たことだけが切り離されたように心に残っている。まるで、何かのまぼろしのように。

若き娘の窓辺に立ちし胸もとに
白き乳房をあらわにも見つ

後年、こんな歌を詠んだ。

とるに足りない小さなできごとなのに、私の内面に意外に大きなものを残したできごとのひとつ。