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北欧のポップスを聞きはじめたのは、たぶん、80年代の終わり頃からだったと思う。もっとも早く聞いたのは、アンヌ・トウルート・ミキールセンで、彼女の歌にはただひたすら驚嘆した。
ハンナ・ボエルを聞いたのは90年代になってから。
これも偶然のことで、ハンナ・ボエルがどういうシンガーなのか知らなかった。
最初のアルバム、「秘めた焦熱」DARK PASSION を聞いたとき、デンマークの歌手ということさえも知らず、アメリカのポップス、それも叙情的な、やわらかな唱法のシンガーなのかと思っただけだった。
ただ、このハンナが、この年のデンマークの最優秀ヴォーカルという程度のことは知っていたような気がする。

スカンジナヴィア・ポップスにかぎらず、ポップスについての私の知識はいいかげんなもので、そのアルバムのなかに、一曲、二曲、気に入った曲があれば、もう気がすむといったものだった。
この「秘めた焦熱」(DARK PASSION)のなかに、

「メイク・ラヴ・トゥ・ユー」 1 Wanna Make Love To You
「私を欲しいなら……」 If You Want My Body
「ウォーム・アンド・テンダー・ラヴ」 Warm And Tender Love

といった曲があってよろこんで聞いたのだが、ブラック・ミュージックに、叙情的なテイストをくわえたといった感じがどうも私の好みにあわなかった。
曲としては、最後の「クライ・フォー・ミー」だけは、ちょっとブルースふうで、心に残ったが、其れだけの印象だった。

それっきり忘れてしまったのだが、つぎのアルバム、「マイ・キンドレッド・スピリット」を聞いたとき、私は自分の不明に気がついた。
まるで印象が違っていた。

「カム・イントゥ・マイ・ガーデン」 Come Into My Garden
「フォーリング・イン・ラヴ」  Falling In Love
「タイム・トゥ・セイ・グッドバイ」 Time To Say Goodbye

どれを聞いても、前に聞いたハンナ・ボエルとは違っている。このときの私は、つくづく自分の耳が信じられなくなっていた。
ただし、私は、ハンナが、人気、実力、ともにトッブ・シンガーと知って、ハンナに関心をもったわけではない。

0ne by one I’ve watched them fall
Slowly leave then die
Now comes the hardest part of love
When it’s time to say love

そんなことばに心を動かされた。

ハンナ・ボエル、1957年、コペンハーゲン郊外に生まれた。1990年度、ワールド・ミュージック・アワード。

私にとって、忘れられないひとり。