私の人生に多少の影響をあたえた映画がある。
戦後すぐに、私は、ドイツ映画「喜びなき街」を見た。グレタ・ガルボがはじめて主演した映画だが、私はまったく何の予備知識ももたずに見たのだった。
これは、第一次大戦の「戦後」のウィーンのすさまじい荒廃を描いたもので、この8月、敗戦国家になった日本の運命を予感させるような内容のものだった。
監督や出演者の名前もしらなかった。
第一次大戦の、戦後のウィーンは、30年後の、ヒトラーの敗戦後とちがって、空襲を受けたわけではない。しかし、人々は飢えて、何の希望もなく、ただ街を歩いている。衣食住すべてがなかった。みすぼらしい服装、口腹の欲をみたすもの、ただゆっくり眠れる場所をもとめて人々は廃墟を歩きつづけている。
これが敗戦国の「現実」なのか。
当時、17歳だった私は、敗戦後の日本の「現実」――まだ、少しも現実のものになっていない「現実」を、無意識に、この映画に重ねていたような気がする。
この映画のラストで、ヒロイン(ガルボ)は混乱と絶望に蔽われた市街を放浪するのだが、雑踏のなかを右から歩いて、中央で立ちどまる。
左側から歩いてくる若い娘とすれ違う。お互いに視線をからませるわけでもない。ただ、一瞬、すれ違うだけ。その娘は、画面、右側から消えてゆく。
このシーンを見たとき、ふと、どこかで見たことのある女性だと思った。というより、一瞬、直覚したのだった。
あっと思った。
マルレーネ・ディートリヒ。私は、まったく無名のディートリヒを見たのだった。
その後、ガルボの伝記も、ディートリヒの伝記も読みつづけてきたが、無名のマルレーネ・ディートリヒが、これも無名に近いグレタ・ガルボがはじめて主演した映画に出たことにふれた資料はなかった。
ディートリヒ自身が、無名のエキストラ時代に関して、まったくふれることがなかった。つまりは、ディートリヒとガルボには、まったく接点がない。
私が見たワン・シーンも、きっと私の幻想だったのだろう。いつしか、私は自分でもそう思うようになった。
その後、「喜びなき街」を見る機会はなかった。
数十年後。ドイツの都市とナチスの歴史を研究した本を読んでいるうちに、まだ無名のディートリヒが「喜びなき街」に出たという記述を見つけた。
私は、茫然として、その一行を見つめていた。……
おなじ頃、フランスの俳優、ジャン・ギャバンの伝記を読んだ。戦時中、アメリカに亡命したギャバンがハリウッドでディートリヒと同棲していたとき、隣に住んでいたガルボがふたりに興味をもって、しきりに監視していたという記述を読んだ。
私は思わず笑ってしまったのだが――
敗戦直後の大混乱のなかで、一家離散の状態で、まるで戦災孤児のように、上野、浅草をうろついていた私が、どうして「喜びなき街」のような映画を見たのか、あらためて不思議な気がしはじめた。