1196

作家、ジャン・ジロドゥーは、長い期間、何も書かない。何かを書きたい欲求がない。だからみんなはジャンがスランプなのだろうと見ている。
ある日、突然、作家は何か書きたいという気もちになる。
窓辺か、暖炉のそばに、ブリッジ用の小さなテーブルを出す。
さて。原稿用紙をひろげて書き出す。一気呵成に。
こうして二週間か三週間、書きつづける。

作品が仕上がると、小さなテーブルをしまって、それまで一心不乱に書いていたことを忘れたように、本業の外務省の仕事に専念する。

書きあげた原稿はタイプでコピーをとって、親しい作家や批評家に読んでもらう。戯曲の場合は、俳優のルイ・ジュヴェに読んでもらうのだった。
彼の原稿は、数十ぺージにわたって流れるように書きつづけられているが、途中、一語たりとも削ったり書き込みがなかった、という。

さすがに凄い作家だなあ。
私などはまったく正反対のタイプ。

作家、山川 方夫は、まだ無名の頃、「三田文学」の編集をしていた。たまたま、だれかの原稿が落ちた(間にあわなくなった)とき、急遽、自分の創作を掲載した。ほんの数時間で短編を書いたらしい。
たまたま、その翌日、私は山川に会った。しばらく雑談をしたが、山川は、徹夜で書いたばかりの短編を私に聞いてくれといった。原稿を読んでくれ。というのなら話はわかる。ところが、原稿を聞いてくれというのだった。
そして、山川はその短編、「春の華客」の冒頭から暗誦してみせた。

私は山川の暗記力におどろかされた。いくら自作の短編にせよ、まるまる全部暗記する芸当は私にはとても考えられないことだった。
私ときたら、自分が書いたばかりの短いエッセイでさえ、正確にそらんじてみせる、などという芸当はできなかった。その雑文で何を書いたか、内容さえろくにおぼえていないのだった。
山川は小説を書くのが好きでたまらなかったのだろうし、いつも自作に自信をもっていたに違いない。

山川は、ほんとうに才能のある作家だった。彼の周囲にいた人々は、誰しも、彼がいずれ作家として登場するだろうことを疑わなかったはずである。
「春の華客」を書いた彼は20代の前半で、私ははじめての訳書が出たばかりだった。

その日、山川 方夫は私に小説を書くようにすすめてくれたのだった。