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イリヤ・エレンブルグを読む。
いまどき、ソヴィエトの作家、エレンブルグを読む人はいないだろう。

イリヤ・エレンブルグは、若き日をパリで過ごしている。
彼の回想を読むと、コメデイ・フランセーズで、ムネ・シュリーの「エディプス」を見たことがかかれている。

「私は芸術劇場しか認めていなかった。舞台ではすべて現実におけるがごとくでなければならないと思っていた。ムネ・シュリーはみじろぎもせず、ひとところに立ちどまると、手負いのライオンのようにうなりはじめた。『おお、われらの人生のなんと暗いことよ!……』何年かたってやっと、彼が名優だったと気がついたが、当時は芸術のなんたるかも知らなかったので、こらえきれず、大声で笑いだした。天井桟敷で、芝居の見好者(ルビ みごうしゃ)の間に陣どっていたのだが、あっと思ったときには、ぶん殴られて、通りにほっぽり出されていた」と。(「回想」1960年)

私はこのエビソードを、『ルイ・ジュヴェ』で書いた。

やはり若かったジュヴェは毎日のようにムネ・シュリーを見に行っていた。だから、ムネ・シュリーの芝居を見て笑いだしたロシアの青年が、パリの若者たちにひったてられても同情しなかったに違いない。

佐藤 慶が亡くなった。
俳優座の養成所で私の講義を聞いたひとりだが、あるとき、私が演出した芝居を見ていた彼が不意に笑いだした。私が芝居に出した俳優の芝居がひどく下手なので呆れたらしい。私は、佐藤 慶の風貌に、一筋縄ではいかぬ不定なものを感じたことを覚えている。

佐藤 慶は養成所の生徒だった頃から、映画をめざそうと思っているといっていた。

イリヤ・エレンブルグを読んでいて、彼が若き日をパリで過ごしていたこと、自分が若い頃に知っていた俳優の訃報がかさなってきた。