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いろいろな人の訃報を聞いた。
たとえば、東 恵美子。劇団「青年座」の創立メンバーのひとり。彼女は、私が演出した芝居に出てくれたし、当時、私はラジオドラマなど、放送の仕事をしていたので、何度か出てもらった。
つづいて、これはイギリスの女優、ジーン・シモンズが亡くなった。つづいて、双葉 十三郎さんの訃報を知った。私は、ただ面識があったていどだか、双葉さんのお書きになるものにはいつも敬意を払ってきた。さらに、映画評論家の登川 直樹さん、作家の立松 和平の訃報を聞いた。
私の知っていた人たちが、つぎつぎに鬼籍に入った。
そして、宇尾 房子の訃報を聞いた。昨年10月にガンで亡くなった。
私は、つい最近まで知らなかったので、この知らせに驚いた。
宇尾 房子さんの死を知った翌日、劇作家、西島 大の訃を知った。こちらは、新聞のオービチュアリで知ったので、それほど驚いたわけではない。(’10,3.4)
しかし、私にとっては、ひとつらなりの訃報であった。私の知っている人たちがつぎからつぎに鬼籍に入った。無常迅速の思いがある。

「朝」の中心にいた竹内 紀吉が亡くなって、もう4年になる。
宇尾 房子さんを紹介してくれたのは、竹内君だった。いつか、宇尾さんのことを書くつもりだが、たまたま最近届いた「朝」28号は、同人の古瀬 美和子さんの追悼がならんでいた。
そのなかに、病中、古瀬さんの死を知った宇尾さんが、追悼の辞を口述したことが出てくる。千田 佳代さんの記録による。

宇尾さんは、千田さんに、「古瀬さんの、追、悼号のね、原稿、書きたいけど」という。おそらく、途切れとぎれにいったのだろう。そして小さく咳をする。
千田さんは、いそいで筆記するのだが、宇尾さんの口にしたことばは、
「ながいこと、あり、がとう」
というものだった。けっきょく、

三人は無言で、宇尾さんを見つめた。唇がすこし荒れている。はるか遠くをのぞむ目が、そらされると、再び咳。
「たくさん、書くつもり、だったけど……」
そこで、彼女は目を閉じると、
「心から、心より、ごめい福を、お祈り、します」

このくだりを読んで、私は感動した。
作家を志して、ただひとすじに美しく生きたひとが、おなじように小説を書きつづけてきた人の死を聞いた。そのとき、宇尾さんの内面に何があったか、私などに忖度できるものではない。
途切れとぎれのことばに、千万無量の思いがこめられていたにちがいない。
そのとき、彼女を見舞った三人の仲間に、やはり、「ながいこと、あり、がとう」と語りかけていたにちがいない。

いろいろな人の訃報を聞いた。
3月8日の新聞で、寺田 博の訃を知った。元「文芸」の編集者で、さらに「海燕」の編集長だった。享年、78歳。
宇尾 房子さんが、追悼のことばを述べた古瀬 美和子さんの弟にあたる。

いろいろな人の訃報を聞いて、私の胸に去来するのは、月並みな感慨だが、

春夢随我心    春の夢 我が心にしたがって
悠揚逐君去    悠揚として 君を追って 去らん

春の夢かも知れないが、心のままに別れを惜しみ、夢のなかで在りし日のあなたのことを思いうかべて別れよう。包 融の詩の一節である。
私も、おなじことばをささげよう。

宇尾 房子さん、「ながいこと、あり、がとう、と。