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ちょっと嬉しいことがあった。ここに書くほどのことでもないが、ちっとばかし嬉しいので、書きとめておく気になった。

近くの古道具屋で、1本のビデオを見つけた。「ハリウッドからの遺書」というラベル。あとは何もない。こんなビデオが古道具屋にころがっている。可哀そうな気がした。値段はあってなきがごとし。

帰宅して、そのビデオを見た。なんと、コメンテーターがローレン・バコール。(むろん、もう誰も知らない女優さん。俳優、ハンフリー・ボガート夫人。)すっかりオバァサンになっている。アメリカで、こんなドキュメントが作られても不思議ではない。だが、私はその内容に――驚かされた。
サイレント映画の時代に起きたファッテイ・アーバックル事件、ウィリアム・デズモンド・テーラー事件、ポール・バーン事件などが――つぎつぎに出てくる。
いまどき、こんな無声映画時代の事件に関心をもつ人はいないだろう。だが、私は――あの可憐なメァリ・マイルズ・ミンター、お侠なメイベル・ノーマンドたちのフィルムが出てくるだけでうれしくなった。
そればかりではない。メァリ・マイルズ・ミンターの「肉声」の録音も聞くことができた。そして、ヴァージニア・ラップが出た映画の1カットまでも。
この新人女優の怪死が、ハリウッドじゅうを震撼させた。その結果、頭に単純な思想を詰め込んだ、貧相な顔つきのヘイズ(当時、郵政長官をやっていた)が、ハリウッドに乗り込んで、検閲、規制、風紀の粛清に当たった。この人物のごりっぱなご託宣も見ることができる。
アメリカには、ときどきこういう Do-gooder があらわれる。しばらくたつと、その時代を代表する道化師に落ちぶれるのだが。

ヘイズの演説におもわず笑ってしまったが、このドキュメント自体にはほとんど茫然とした。各シーンに驚きがあった。ドキュメントとして、全体にそれほど高いレベルの作品ではない。しかし、ここには、自分たちの「過去」をひとつの文化として見ようとする姿勢がある。
私は大島 渚が監修した日本映画の100年史といったドキュメントを思い出した。いかにも安易なドキュメントで、拙速というか、周到な準備もなく、思いつきでフィルムをかき集めて、つなぎあわせたような作品だった。大島 渚は日本映画のみじめな発展さえ、まともにとりあげなかった。

たとえば、若き日の川田 芳子、五月 信子、英 百合子の姿を、ビデオで見ようと思っても、ほとんど不可能だろう。まして、入江 たか子、夏川 静江、砂田 駒子などの水着姿などを見ることはない。

後年の化け猫女優、鈴木 澄子の若い頃は胸をくりぬいたような水着、歌川 八重子が背中をまるだしにした水着だった。そんなことは誰も知らない。
いまの女の子に較べて可哀相なくらい短足で、メタボな松枝 鶴子。下腹部がホコッと出ていた高津 慶子。痩せっポチの田中 絹代。胸が平べったい及川 道子などをビデオで見ることはない。

日本の映画界に、すぐれたドキュメンタリストがいないわけではない。
将来、日本の映画の発展をまっすぐ見すえた、すぐれたドキュメンタリーが作られることを期待している。