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歌舞伎の世界は、若手がぞくぞくと意欲的な芝居を見せている。市川 海老蔵が早変わり十役をつとめたり、右近が「黒塚」をやったり。
後世の人は、平成になってからの歌舞伎を、名優が輩出した時代と見るかも知れない。
あたかも、明治の人たちが、文化、文政の頃を名優が輩出した時代と見たように。

実悪の松本 幸四郎(五世)、所作の中村 歌右衛門(三世)、板東 三津五郎(三世)などが、名優として知られていた。

この三津五郎が、舞台で家老の役を演じた。湯呑みを手にする。舞台に置いた時計の音にあわせて、爪ではじく。これで道具替わりの合図にした。
観客にウケた。大いにウケて、評判になった。
これを見ていたのが、作者の桜田 治助。
せっかく評判の湯呑みも、張り子の小道具なので、どうにも栄(は)えない。わざわざ、本物の湯呑み茶碗を買い求めて、取り替えて置いた。

幕を終えた三津五郎は、楽屋に戻ったが、不機嫌な顔で、
「誰が、余計なことをしやがった?」
と怒った。
桜田 治助は、意外に思って、
「じつは、湯呑みを替えたのは、あたしだが」
というと、三津五郎も作者のしたことなら仕方がない、と、いくらか顔色をやわらげたが、
「瀬戸ものを瀬戸ものに見せることは誰にもできる。張り子の小道具をほんものの瀬戸ものに見せるのが役者のウデだ。この頃、ようやく張り子がほんものにみえるようになったのを、惜しいことをしてくれた」
と嘆息した、という。

この三津五郎の和事、実事、いずれにもすぐれ、老女の覚寿、岩藤なども評判の当たり役だった。天保二年、法界坊、五三桐を演じたのが、江戸芝居の最後で、その年(1831年)の暮れに亡くなっている。五十七歳。

こんなエピソードからも、いろいろと考えることができる。