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加賀の千代女の句は好きになれない。どうして千代女が嫌いなのですか、と質問されて困った。
嫌いな理由を聞かれても答えられない。ハリウッドの女優なら、ノーマ・シャーラー、ジョーン・クローフォードが嫌いだが、なにしろ好きになれないから、嫌いなのです、と答えようか。

道くさの 草にはおもし(重し) 大根引   千代
水仙は 名さへ冷たう 覚えけり
船待の 笠にためたる落葉かな
春の夜の 夢見て咲くや 帰り花
折々の 日のあし跡や ふゆの梅

こんな俳句のどこがいいのだ?
落ち葉を詠んでも、良寛さんの――「焚くほどは 風がもてくる 落葉かな」のような飄逸な句がある。多代さんが落葉を見れば、「吹き上げて 風のはな(離)るる 落ち葉かな」となる。

知る人の家でありけり ふゆ椿        多代
さまでなき 山ふところや ふゆ椿
茶の花や 坂を登れば 日も昇る
吹き上げて 風のはな(離)るる 落ち葉かな
稲塚を さし出た枝や 冬の梅

ここに挙げた五句だけでも、多代女のほうが格段にすぐれている。
多代女の句には、千代さんの句のポピュラリティーはない。それほど残念な気はしない。
いつの時代でも、千代女のような人気作者の場合は、大衆の好みが変わらないかぎりそうした人気は消えることはない。多代女の句は誰も知らないが、それでいいのだ。どんなに人気があったところで、その作品がかならずすぐれているとはかぎらない。