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ゲルツェンは、ヨーロッパの否定的な面に強く反応した。
1848年、パリ・コミューン。その悲惨な結末に衝撃をうける。拝金思想。物欲。ふつうの人々の平穏な生活。これに俗物性、凡庸さが重なってくる。
おまけに、この時代にはじつにさまざまな事件が頻発していた。ザイチェフスキーの「若きロシア」の革命的な宣言、ベテルスブルグに頻発した放火、やがてアレクサンドル二世の暗殺。そして、急激な政府の政策転換。
言論弾圧。
リベラル派、急進派に対する執拗な追求。
『ユートピアの岸へ』には、そうした背景のひとわたりがわかりやすく描かれている。
ゲルツェンはバクーニン、ベリンスキー、作家のツルゲーネフなどと親しかった。(『ユートピアの岸へ』、第一部)そして、マルクスは、ゲルツェンを疑いの眼で見ていた。それが、わかるだけでも、こういう芝居を見ている楽しさがある。
1852年から、ゲルツェンはロンドンに在住。(『ユートピアの岸へ』、第三部) 農奴制の廃止がもたらした改革運動が、じつは失敗だったという苦い幻滅は、「第三部」のツルゲーネフに現れている。