とにかく、徳川 家康のすべてが大嫌いである。
いまさら家康を論じる気はないが、天正八年の句にいわく、
うへて待つ 梅は久しき 宿の春
正岡 子規に読ませたら、どういう顔をするだろう。
また、天正十六年の聚落行には、みどり立 松の葉ごとに此君の 千年の数を 契りてぞ見る
なんという偽善的な歌! いやらしい。おぞましい。ムカツクぜ。
文禄三年、秀吉にしたがって吉野の花見に行く。待ちかぬる 花も色香をあらはして 咲くや吉野の春雨の音
詩人としての信玄や、謙信の清冽な気韻とは比較にならない。
こういう家康が格別に嫌いなのである。むろん。日光、久能山を訪れたうえで、家康を嫌っていることは申すまでもない。
山路 愛山、中村 孝也の伝記を、家康を書いた伝記として最高のもの、と認めたうえで、心から家康を嫌っているのである。近いところでは、山岡 壮八の『私の徳川家康』なども、私はくだらない自作へのアポロジーと見ている。のみならず、家康を「大権現様」、「神君」などと称してあがめた連中。誰が書いたものとも知れぬ「国事昌坡問答」などというものを書いて、家康にオベンチャラを並べるようなヤツを私は軽蔑している。
白石、鳩巣、澹泊、そろいもそろって Cranky GGども。