(つづき)
荒唐無稽なデマがながれる。
ソ連兵が新潟に上陸、農業倉庫をさしおさえた。日本の女たちは慰安婦にされ、男たちは全員が去勢される。無数のデマがひろがったため、笑えない喜劇が全国で起きた。どうせ接収されてしまうのなら、という理由で、各地の倉庫の品物を分配した村々。
アメリカ兵は肉食だから、という理由で、飼育している家畜をみんなで食べてしまった村々。中国兵がニンニクやタマネギを好む、という理由で、貯蔵してある野菜をすべて放出したり、焼き捨てたり。
混乱のなかで、各地の航空隊から、残存した戦闘機が飛来してビラをまいた。戦争継続を訴えるためだった。すさまじい爆音が都民を威圧したが、もう戦争気分は消えていた。
一方、戦争が終わって、また戦前の暮らしに戻れるというので温泉に出かけたり、のんびり木曽の御嶽さんに登る連中もいた。
灯火管制が正式に解除されたのは八月二十日からだが、敗戦の当日の夜の街も住宅もいっせいに明るさをとり戻しはじめていた。
映画館も、22日に再開されたが、実際には敗戦の三日後には、それまで上映していた映画のかわりに、どこからか見つけてきた戦前のフィルムや、無声映画を上映した映画館が出てきた。とにかくアナーキーな、やけのヤンパチといった気分が渦巻いていた。
虚脱感。絶望感。怒り。やけっぱちのなかで、バカバカしさを笑いとばすような、あっけらかんとした明るさ。敗戦直後からの1週間のバカバカしさってなかった。
たちまち、戦後のすさまじい荒廃がつづいてゆくのだが。
「週刊朝日」(1945年3月18日号)。おなじく「週刊朝日」(1945年9月2日/9日号)。
現在の私は、偶然に入手した週刊誌を手にして、東京大空襲と、敗戦後のてんやわんや、やっさもっさを思い起こしている。