(つづき)
ゲイリー・クーパーについて・・・・
日本流に数へて二十九歳の好青年。とはいつても昔風な優男一点張りでないことは勿論。情があって、それでゐて男らしい。身長だって六尺二寸といふ大男だ。
たとへば皆さんの中でもこの青年を嫌ひだといふキネマ・ファンは絶対にないと思ふのですが、いかがですか? 髪は褐色、瞳は清澄な青色。
まだ独身です。舞台経験はない。出演映画の主なものは「つばさ」、「ライラック・タイム」等等。
まだ「モロッコ」が封切られていなかったことがわかる。
ゲイリー・クーパーは、1926年、「バーバラ・ウォースの勝利」に、エキストラとして出演してから、1960年、アカデミー賞、特別賞を受け、翌年亡くなっている。
戦前の代表作は、「モロッコ」(30年)だが、{武器よさらば」(32年)、「生活の設計」(34年)、「マルコ・ポーロの冒険」(38年)など。
私たちは、戦後になってあらためて、「誰が為に鐘は鳴る」(43年)、「サラトガ特急」(44年)から「真昼の決闘」(52年)まで、ハリウッドを代表する大スター、ゲイリー・クーパーを見直すことになったのだった。
彼は、いつも「平均的なアメリカ人・ジョー」を演じつづけた。ミスター・ジョン・ドウの典型である。彼の信条は、じつに単純なものだった。
アーサー・ミラーの『セールスマンの死』について、
たしかに、ウィリー・ローマンみたいなやつはいるよ。だけど、そんな連中のことを芝居にする必要はないさ。
アドルフ・マンジュウ、ジャッキー・クーガン、ジョン・ギルバート、ゲイリー・クーパー、バスター・キートン、リチャード・アーレン、マリア・ヤコビニ、ジャネット・ゲイナー、フェイ・レイ、ビリー・ダヴ、ドロレス・デル・リオ、クライヴ・ブルック、メリー・ブライアン。
この顔ぶれは、昭和初年の日本女性に人気があったスターだったのだろう。いずれも「天分と容姿」に恵まれたスターたちだが、現在、彼、彼女たちの映画を見ている人がいるだろうか。
この時期、中国では「上海摩登」(モダン)が登場する。チーパオを着たクーニャンが颯爽と歩いていた。日本で公開されない映画も上海では見られた。
小さな投書から、私の連想はつぎつぎにひろがってゆく。ときどき、自分でも収拾がつかなくなるのだが。