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ある晩、私は酒場「あくね」で飲んだあと、お茶の水に向かっていた。たまたま明治大学の正面前から歩いてきたふたり連れがいた。ふたりとも、いいご機嫌のようだった。
作家の田中 小実昌と、翻訳家の山下 諭一だった。

「中田さん、マリリン・モンローのスリー・サイズをおしえてください」
田中 小実昌がいった。

こういう質問には警戒してかかる必要がある。
田中 小実昌は、すっかり出来あがっていて、いいご機嫌だったから、私を見かけて、たちまちとっぴょうしもないことを切り出して、困らせてやれと思ったのかもしれない。
だから、悪意があってのことではない。

マリリン・モンローのスリー・サイズは、
39 24 37
37 23 38
36 26 36
どれも、よく知られている。

女性の人生の時期によってスリー・サイズが変化するのは当然だろうが、私はマリリン・モンローのスリー・サイズに関心はなかった。そんなことはどうでもいい。ある時代、ある場所にひとりの女が生きたということは、それだけで孤立してとらえるわけにはいかない。
女のスリー・サイズを知ったところで、その女の美しさをどれほども説明できるものでもない。

田中 小実昌が、いきなりそんなことをいい出したのは、私がマリリン・モンローの評伝めいたものを書いていたからである。そんな仕事をしながら、身すぎ世すぎのために雑文などを書いている。
田中 小実昌は、ミステリーの翻訳家として知られていたが、この頃からすぐれた短編を書きはじめていた。作家として知られてきただけに、マリリン・モンローなどに入れあげている私をからかってやろうとしたのだろう。
山下 諭一はニヤニヤしていた。

私は、「36 26 36だと思います」
そう答えた。

そのまま、ふたりと別れたが――あとになって、田中 小実昌と、山下 諭一がいっしょになって、私のことを大笑いしているだろうな、と思った。

なんでもない話である。しかし、私の内部には何か澱のような気分が残った。