いくらいい翻訳論を読んでも、翻訳がうまくならないように、演出論といったものを読んでも、実際の演出にはあまり役に立たない。
何かの本で読んだ、ジョン・ウェインのエピソードを思い出す。
彼は、顔を洗いながら、セリフを一行いうことになっていた。そのセリフは――「あんたの行くところなら、どこだってついて行くよ」という一行。
ところが、顔の洗いかたが、監督の気に入らなくて、何度も撮り直しになった。ジョン・ウェインは、監督の気に入るように、いろいろとやってみた。
ところが、監督は承知しない。
とうとう、最後に、監督が、
顔をピシャピシャやるな。顔を洗うこともできんのか!
と、どなりつけた。
ジョン・ウェインは、自分ではきちんと顔を洗う演技をしているつもりだったので、監督に怒鳴られたことにいささかおかんむりだったらしい。
あとになって、ジョン・ウェインは考えたという。
このシーンのつぎのカットは、その映画のいちばん大事な、いわばハイライト・シーンになっている。監督はそのハイライト・シーンを撮影する前に、俳優を緊張させるために、さして大事ではないシーンで、叱りとばしたのではないか、と気がついた。
そのハイライト・シーンの撮影では、まるで赤んぼうのように、やさしくあつかわれたらしい。
この監督は、いうまでもなく、ジョン・フォード。
こういう演出は、まともに語られることがない。まして、こムズかしい旧ソヴィエトの映画論、演出論などには絶対に出てこない。
ジョン・ウェインは、ハリウッドの黄金期の大スターだったが、役者としてはたいしてうまいひとではない。まして、名優などといえたものではなかった。
それでも、西部劇では不朽の名声を得た。はじめて、ジョン・フォードに出会った「駅馬車」、彼自身がはじめてプロデュースした「拳銃の町」、大スターになってからの「リオ・グランデの砦」などを見ておけば、ジョン・ウェインの「いい映画」はひとわたり見たことになる。「グリーン・ベレー」などは見る必要がない。
ジョン・フォードは、ジョン・ウェインがたいしてうまい俳優ではないことを知っていた。しかし、自分の映画に出てもらう以上、誰よりもいい俳優に見えなければならぬ。そういう、きわめてプラグマティックな計算から、さして大事ではないシーンなのに叱りとばしたのではないか。
ただし、その「演出」に気がついただけジョン・ウェインは名優かも。