弟が亡くなったのは、日中戦争が勃発した翌年、1938年6月13日だった。数えで6歳。私が小学5年のとき。このときから、私にとって死はいつも身近なものになった。
弟を失った母はほんとうに狂乱した。何を見ても悲嘆に沈む。弟が遊んだおもちゃを見るだけで、いろいろと思い出すらしく、毎日泣き暮らしていたが、ある日、私を見てクズばかり残ったとつぶやいた。
私は弟を思い出すと、いつもひとりで広瀬川の小さな砂州に遊びに行った。水面をかすめるアユやハヤの影を放心したように眺めたり、草むらに寝そべって空を見つめていた。
この頃から、私は性格が変わったと思う。