岡場所。
江戸にあった官許の場所以外の、深川、築地、品川、新宿などの私娼窟をさす。
そのくらいは知っているのだが、なぜ「おか」なのか。いつから「おか」なのか。
古語の「おか」、つまり陸の連想はわかる。「岡へあがったカッパ」というふうに。
傍目八目のように、わき、横、はたから見る動き。これもわかる。
江戸でいう岡場所を大阪では「外町」といったらしい。あるいは、「島場所」とも。
このあたりにも、関東、関西の、トポス的な違いが見えてくる。「岡場所」と「島場所」、どちらでもいいが、吉原ではない私娼窟を「ほかの場所」としたのは、公娼を中心とした集娼制度に対する暗黙の異議申し立てではなかったろうか。
金一歩の揚げ代の「金見世」(かねみせ)、銭一貫文の「銭見世」(ぜにみせ)、さらに、昼六百、夜四百に切り売りする「四六見世」、それ以下の「六寸」、「五寸」、「四寸」と区別した江戸の庶民のふところ具合も「ほかの場所」というカテゴライズに見えるような気がする。
「島場所」は、私娼窟を別世界、何か極楽浄土に似た別の「島」として、とらえているような気がする。
江戸でいう、「じごく」は、当然ながら極楽浄土とはまったく反対のものだが、これとても、江戸の庶民が「地の女」の「極上」という意味で使っていたとすれば、やはり違った解釈が出てくる。
ほんとうは江戸の庶民の造語、暗喩、synthetic slang にも眼をむけるべきところだが、残念ながら、私にはその能力、学問がない。