(つづき)
たとえば、富田 孝司先生は、現在の金融危機について――
金融危機で日本はダメージを受けたが、実は良い処が顕在化した。国内企業や大学の高度な技術と品質は日本の特長で断トツである。これは再生可能エネルギーや電力等の分野にも当てはまる。実は日本の材料技術と民族性が基礎となって、
優れた変換効率の発電装置を生む。仕事の基本が出来ているので結果的に大きな成果につながる。世界が気付かないこの基本を我々は再認識しないといけない。
こういう一節から、いろいろなことを考えることができるだろう。
富田 孝司先生は、東大の先端科学技術研究センターの客員教授。ご専門は「超効率太陽電池」という分野の権威。
この先生のエッセイのおもしろいところは、さらに別のところにあらわれる。国際化(グローバリゼーション)に関して、
確かに日本の発電機、省エネ機器は最高水準である。しかし国や地域間を連絡する送電線網は極めて脆弱である。当然、電力マネージメント技術は発展しない。
競争原理の中で商品の水準を追求するのはいいが、日本の携帯電話のようにガラパゴス島化する危険性がある。ジャパラゴスだ。むしろ渋谷のデコデンの方が国際的かもしれない。
私はここから、別のことを類推する。日本の文学なども、いまやJ・ブンガクなどという範疇で考える人があらわれている。つまり、現代文学などは、すでにガラパゴス島化している。私などは、もはや死滅寸前の大トカゲ化しているもの書きなので、富田先生のエッセイからいろいろな示唆をうける。
富田先生は寿司についても、きわめてユニークな発想を展開している。
銀座の寿司もいい。欧米でも凄い寿司ブームである。回転寿司も普及している。
だが並んでいるものは趣向や感性が違う。従来のように日本の寿司チェーンの全国展開もいい。だがいっそ寿司のレーティングする機構をつくってもいいのではないか。伝統の寿司文化を守り、ユーザに高い品質を提供するためを名目に世界寿司認証機構を設立してはどうか。工業製品の国際標準化も重要だが、文化や必需品の分野も日本の得手とする処である。
これは、おもしろい。
私が、「先端研ニュース」のエッセイが好きなのは、こういう部分に、私なりに文学的な問題を重ねあわせて考えるのが楽しいからでもある。