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日米戦争が開始される昭和16年、詩を書き始めた少年がいる。
その後、じつに70年にわたって詩を書きつづけた。
私家版の第一詩集を出したのは、大学を卒業した昭和23年。第二詩集を出すまで、14年かかったが、昭和43年に第三詩集を出してからは、順調に詩集を出してきた。
2009年、31冊目の詩集、『見ることから』(詩画工房/’09.3刊・2200円)が出た。
その詩は・・・・

見渡す限り 周囲は峨々たる岩山で
何らかの力が働いているらしく 少しずつ
岩は削り取られるかのようで その中から
何か形あるものが現れてくるようである
もちろん今は決して明確な形ではない

というオープニングをもつ。その「形」とは何なのだろう? 詩人はすぐにつづける。

得体の知れないその形ではない形は
日に少しづつ形を変えながら あるいは
形を明らかにする気配を感じさせながら
現れてきてはいるようなのであるが
何時になったらその形が明らかになるのか
一向に予想はつきそうにないのである

誰が彫っているのか、誰も見たことがない。詩人はつづけて、

具象的な何か あるいは 抽象的な何か
果して形象なのか それとも文字なのか
それらを見ていると感じさせられるのだが
それはこれまでには存在しなかったところの
ある何か新しいものでもあるのだろうか
しかしそれを言い現すべきことばも今は無い

詩人は、ここで、私たちにひとつの疑問を投げかける。

それならば私たちは 形と同時に言葉もまた
新しく発見し創造しんくてはならないのか
私の 私たちの 前に投げかけてくる この
磨崖の 何ものかである その何ものかよ

これが、「磨崖」という詩。
詩人は進 一男。奄美大島の詩人である。
彼の詩句の一行の真実は、読む人の胸にただちにひびく様な性質のものである。
近作の詩集、『見ることから』を読んで、私はこの詩人が、孤高といってよい詩境に達していることをよろこんだ。いや、むしろ驚きをもって見たといってよい。
(つづく)