私は筈見 恒夫を非難しているのではない。むしろ、いいたいことを心おきなく書いていた先輩の映画批評家に羨望の眼を向けている。
こんな一節がある。
十三歳のダニエル・ダリューが、デビューしたのはアナベラなどと殆ど同時代のことである。「ル・バル」というのが、その作品だ。(中略)この少女は、しかし、「ル・バル」以後めきめきと美しくなった。一作ごとに磨きをかけられて行った。その美しさに目をみはったのは巴里人だけではなかった。アメリカの製作者が、この巴里美人に目をつけて、ユニヴァーサルが契約した。(中略)巴里へ帰ると、ドコアンの監督で「背信」と「暁に帰る」をとつた。巴里へ帰つたダリューは、アメリカ映画に見られない美しさだが、(中略)爺くさく婆くさかつたフランス映画も、この時代になると、すつかり若返つてくる。美男美女はフランスから、とでも云いたいくらいだ。フランス中の美人たちが、自信をもつてスクリーンの前に立つようになつた。こうなると、土くさいアメリカの比ではない。女優発掘の名手として、まずデュヴィヴィエがあげられるだろう。
アナベラは、アベル・ガンスのサイレント映画、「ナポレオン」(1927年)のラストにまったく無名の少女としてデビューしている。ダニエル・ダリューの「ル・バル」(1932年)はトーキー映画なので、私にはこのふたりが同時代にデビューしたという認識はない。たかが5年の違いだから、ほとんど同時代には違いないのだが。
アナベラは先輩女優。ダニエル・ダリューは、アナベラを越えた女優。
しかし、「爺くさく婆くさかつたフランス映画も、この時代になると、すつかり若返つてくる」というとき、胸をときめかせていたこの批評家の表情がうかがえよう。
私は、先輩の批評家たちが残した映画批評にいつも敬意を払ってきた。(例外はある。津村 秀夫にはあまり敬意をもっていない。)その敬意には、こちらの知らない映画について書いているという羨望、くやしさが重なりあっている。
先輩の映画評論家が書いている(書かれてしまった)ことの証明の不可能性もある。
だからこそ、いろいろな映画史や、へんぺんたる映画批評までもありがたいものに思える。映画批評というものは、そこに書かれたこと、書かれなければならなかったことにおいてはじめて意味をもつジャンルなのだから。