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 私の周囲には、とても才能のある女性たちがいっぱいいる。
 そのひとり、森山 茂里は小説を書いている。すでに、長編を出して一部では注目されている。

 茂里に新作の進捗状況を訊く。彼女は、いつもおなじことをいう。

 あたし、書けないんです。どうしたら、いいんでしょう?

 あまり困った顔をしていない。だから私も心配しない。書けない書けないといいながら、きっちり作品を仕上げて、しっかり編集者にわたすタイプの作家なのだ。

 作家どうしのあいだで、こういう話題が出ることは少ない。だいたい、自分を隠して、内面的にどういうことを考えているか、めったに他人にうかがわせない人が多い。
 私が周囲にいる才能のある女性たちに、しょっちゅう新しい仕事や、新作の進捗状況を訊くのは、理由がある。この種の話題について、みんなが率直に話してくれるから。
 むろん、たぶん安全な話題だと思っているせいだろう。危険と感じられる話題については慎重であったり、話をそらせたりするはずである。
 ところが、私たちの場合、個人の親密さの深度がほとんどおなじなので、お互いに気楽に冗談をいいあったり、からかいあったりできるらしい。

 私がたまに何かを書くと、女の子のひとりは「先生、カッコイーイ」と声をかけてくれる。
 その「カッコイーイ」は、ほんものの「カッコイーイ」ではないらしい。「おっさん、ようやりまンな、ええ年して」といった、老作家に対する、かるい揶揄、かすかな嘲弄と、いささかのいたわりをこめた「カッコイーイ」だったにちがいない。

 こうしたひとりが、先日、私に手紙をくれたが、封筒の宛て名に、
    へんな作家  中田 耕治先生
 と書いてきた。郵便配達はびっくりしたにちがいない。私はうれしくなった。こういういたずらが大好きなのである。(笑)。

 森山 茂里は私のクラスで、長いこといっしょにいろいろなテキストを読んできたので、お互いに親しみをこめた、いわば知的なアフェクションといっていいものが流れている。

 書けないんです。私には、不可能なんだわ。

 どんなことだって可能だよ。それが、不可能だと証明されるまでは。だからさ、不可能なことって、不可能なだけなんだから、きみは可能なことをやればいいんだよ。
 つまり、書くしかない。
 むろん、彼女もそんなことは承知している。

 森山 茂里は、目下、4作目の長編にとりかかっている。