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 水上 滝太郎の随筆を読む。

     大ざっぱな言方だが、吾々の父母の時代迄は、他を評しおのれを語ることをいやしみさげすむ風が強かった。それが何時の間にか、男も女も、老も若きも、地位職業の別無く、口を以て筆を以て、他を評しおのれを語るに暇なきが如き時代相を現出するに至った。よりて来るところの社会的原因の存することはいふ迄も無いが、狭く文筆の方面に限り、直接の誘引を求むれば、随筆の流行を数へることが出来る。彼(か)の自然主義の運動が現実暴露を引っ提唱し、平面描写を推奨し、やがて崩れて日本独得の心境小説の発達をみるに及んで、作家は各自日常身辺の雑事を綴ることになづみ、その傾向の赴くところ、随筆の流行を招来し、この文学の形式は、最も自由に手軽に他を評しおのれを語るに適するため、専門文学の士にあらざる人にも筆を執ることを容易ならしめた。

 むずかしい文章ではない。それに、こんなみじかい一節からも、大正から、昭和初年にかけての作家たちは、みんな早くから老成していたことがわかる。それは認めなければなるまいが、いまでは、やはり、読みにくい。
 たしかに、ネコもシャクシも、馬の骨も牛の糞も、随筆という表現形式になづむようになった。昭和初年には、森田 たまのような随筆専門のもの書きが登場する。

 久しぶりで、昭和初年から戦後にかけての森田 たまの随筆を読んでみたが、これはもう論外だった。
 日中戦争のさなかに、従軍作家として中国に行く。このときの「揚子江」、「支那服」、「一角二角」などという文章を読むと、戦前の日本の女のバカさかげんが、悲しくなる。(この「悲しくなる」は、森田 たまのお使いになることばのパロデイ。)

 水上 滝太郎の随筆には、おのれを持することのきびしい気骨が感じられるのだが、森田 たまの文章には大和撫子といった気韻などはない。生きながら死臭をあげているような感じで、読めたものではなかった。

 私が大嫌いな女もの書きは、森田 たま、芝木 好子のふたり。いや、まだほかにもいるのだが、いずれあとでとりあげるつもり。