1012

 
 つい最近、トウコさん(安蘭 けい)の退団公演、ミュージカル、「My dear New Orleans 愛するわが街」を見た。
 舞台に感動したばかりではなく、もはや二度とこのふたりを見ることがないと思うと、悲哀が胸に迫ってくる。

 安蘭 けいがすばらしかったのは当然だが、遠野 あすかは、この前の「スカーレット・ピンパーネル」よりもずっといい。もともと芸域のひろい女優さんだが、「マルグリート」が清純な役というだけでよかったのに、今回の「ルル」には、あだっぽさ、あえていえば、淪落の女といった翳りまで、みごとに演じてみせた。

 このミュージカルの台本と演出のレベルの高さ。そして、ショー「ア・ビアント」を見て、現在の「宝塚」が、どれほど大きく発展してきたか、あらためて感慨をおぼえた。

 おなじ、星組で思い出すのだが、明石 照子、淀 かおるたちと、安蘭 けい、柚希 礼音の違いの大きさを思う。(なにしろ、古いね。)

 ショー「ア・ビアント」は、あくまで安蘭 けいの「さよなら」仕様のショーに仕立てられているが、かつてのグランド・レヴュー「シャンソン・ダムール」(高木 史郎/構成・演出)とは、やはり比較にならないほど高度の洗練を見せている。
 演出上、かつての「シャンソン・ダムール」には、宝塚に独特のスペキュタキュラーな要素や、戦前のノスタルジックなレリッシュ(風味)があった。シャンソンにしても、「サ・セ・パリ」、「シャンソン・ダムール」、「パレレ・モア・ダムール」あたり。
 ところが「ア・ビアント」では、たとえピアフや、「パダム・パダム」などがメロディーとしてちりばめられていても、かつてのパリ、たとえばモンマルトルを連想させない。
 私などが知っているシャンソンは、音楽的なレリック(遺物)にすぎない。
 ここにあるものは、まったくあたらしい感覚の音楽なのである。

 時代は「宝塚」においても、はげしい変貌を迫っているのだ。

 このミュージカルを見た数日後、たまたまテレビで宝塚音楽学校の入学式を見た。(’09・4・18)
 なんといっても宝塚の入学式なので、若くて可愛い女の子たちがたくさん出てきた。97期生。40人。27倍の難関を突破した選り抜きの才媛ばかり。
 グレイの真新しい制服もまぶしいばかり。

 彼女たちの姿に――かつて私の胸をときめかせた美女たち、美少女たち――星空 ひかる、畷 克美、南城 明美、槇 克己といった遠い日の美しいカップルズ、さらには、本城 珠喜や、天城 月江たちのまぼろしが重なってくるようだった。

 いつの日にか、97期生たちのなかから、安蘭 けい、遠野 あすかたちが、そのときのファンの心をときめかせ、そのイメージは朽ちることなく、ファンの内面に棲みつくだろう。

 やがて人々の熱狂的な支持をえるはずの人も、今はまだ誰にも知られずに、ようやく地平の彼方に姿あらわしている。
 私はそのことに感動していた。