シュテファン・ツヴァイク。もし、彼の作品を読まなかったら、私はずいぶん違った仕事をしていたと思う。つまり、私はツヴァイクを尊敬していた。
彼の作品から影響を受けたわけではない。
彼の「ジョゼフ・フーシェ」や、「メァリ・スチュワート」といった評伝を読んで、自分もいつかこういうジャンルのものを書いてみたいと思うようになった。むろん、はじめから関心をもつ対象が違うし、私にはツヴァイクのような知性、教養もなかった。ただ、どこか一点でもいい、ツヴァイクの評伝を越えようとおもった。
私の『ルイ・ジュヴェ』で、シュテファン・ツヴァイクに何度もふれているのは、そういう思いがあったからだった。
ツヴァイクは、第二次大戦に日本が参戦してから自殺している。
自分の生涯は精神的なことのみにささげられた、と彼はいう。そして、自分の信じたヨーロッパの文明が崩れさる音を聞いたのだろう。
最後にとりかかっていたのはモンテーニュの評伝だったが、これは完成しなかった。私たちの文学史にとって、ほんとうに残念なことのひとつ。
ヘルマン・ケステンにあてた手紙で、ツヴァイクは
あの神秘的な「のちの世界」にたどりつくまで、忍耐に変わらざるをえないあの勇気、私はもともと、その「のちの世界」を体験したいものとせつに願っているのですが・・
と書いた。
ケステンは、この「のちの世界」は死後の世界ではなく、戦後の世界をさしていたと考える。そうとすれば、神秘的と訳すよりは、「ミステリアスな世界」と訳したほうかいいだろう。あれほど明晰なツヴァイクが、何やら神秘主義的な作家のように見えてはよくない。
いつか、ツヴァイクの『昨日の世界』を読み返してみよう。