その当時、私はもう演出の仕事から離れていた。雑誌に短編を書いたり、ある新聞に評伝小説のようなものを連載したり、翻訳をしながら明治の文学部と、ある女子大で講義をつづけ、翻訳家養成センターで実践的な指導をつづけていた。
そんな多忙ななかで、ある週刊誌に、こんな記事を見つけた。
「女房とケンカした。生きがいがないから死ぬ」と、酔った男の声が一一〇番に入ったのは、先月末の夜十一時。警察官が中野区中央のアパートヘ駆けつけると、室内では首を切った女性がフトンの上で失血死。やはり首を切った男性が倒れていた。
女性は<元女優>のS.Y.。男性は自称シナリオライターのY.I.サン。ふたりは十五年前から内縁関係に。
警察は当初、S.Y.の男性関係に悩んだY.I.サンが無理心中をはかったものとみた。ところが調べてみると、事実は逆で、新しい愛人とY.I.サンとの三角関係を清算するためにS.Y.が、登山ナイフで、Y.I.サンを刺したが、結局、自分だけ死んでしまった。
この記事を読んで、胸を衝かれた。驚きがあった。こともあろうに、あのS.Y.が愛人と無理心中をくわだてて、自分だけが死んでしまうなんて。
私は彼女を知っていた。演出家と女優というだけの関係だから、親しいとまではいえないにしても、ある程度まで知っていた。小さな劇団で一つ釜のメシを食った仲間、といった感じといえばわかってもらえるだろうか。
はじめは研究生のとき、つぎには劇団員に昇格した彼女を芝居で使った。稽古場で会えば、いつも明るい声で挨拶する女の子だった。短い台本をとりあげて、稽古をつづけたこともある。したがって、ある時期まで、彼女を見まもってきたといっていい。
やがて、劇団の内紛にまき込まれて「劇団」を離れた私は、自分で小さな小さな劇団をひきいることになった。経済的な基盤が何もないのだから、なにもかも私の肩にのしかかってくる。この時期の私は、芝居の公演をつづけるために、ただひたすら雑文を書き、小説を書きとばしていた。
S.Y.の自殺の記事といっしょに当時の私のメモが残っている。
「五木寛之全集」田近さん、「SES」本田さん、督促。
川久保さん、「ボルジア家」問い合わせ。私あての礼状。
五木寛之氏に、豆本「風に吹かれて」の礼状。
「集英社」からジャニーヌ・ワルノー。
「北沢書店」からパトリックの『ピカソ』。グィツチャルディーニ、18万円。
「週刊XX」今夜、12時まで。北原君、くる。
私が連載を書いていた週刊誌に、S.Y.の事件が出たのだった。
(つづく)