近所の古本屋の棚に、岩田 豊雄の『フランスの芝居』があった。昭和18年2月20日発行。生活社。定価。二圓。つまり、戦時中に出た本で、初版、1500部。
なつかしいので買ったのだが、150円。
この本が出た当時、私は明治大学の文科に入ったばかりで、著者が、作家、獅子 文六だということも知らなかった。ただ、この本で、はじめて現代フランス演劇を知ったのだった。何度もくり返して読んだ。空襲で焼いてしまったので、戦後になって買い直した。この本もくり返して読んだ。
私の内部に、この本に出てくる多数の演劇人の名前とその仕事が重なっていた。
巴里の前衛劇場と目すべきものに、ルイ・ジュウヴエの劇団、シャルル・デュランのアトリエ座、ガストン・バチイのモンパルナス座、ジョルジュ・ピトエフの劇団の四つがある。
ジュウヴエの一座はコメデイ・シャンゼリゼエに立籠り、舞台と座員の充実せる点で、一歩を抽ん出てる観がある。この一座の特徴は、純粋に、仏蘭西的な新興舞台芸術を示すことで、ジュウヴエはただ一回ゴオゴリの『検察官』を採用したのみで、嘗て外国戯曲に手を触れたことはない。また彼自身の手になる舞台装置も、意匠に於て色調に於て、独露のそれと全然別種の近代性を持ってゐる。それは彼の明朗な、快活な、多彩な演出法についても窺はれる特色である。彼はいかなる国外の影響すらも免れた。ただ、仏蘭西劇壇の二大恩人の一人ジャック・コポオの理論は、多分に彼の芸術のなかに享け継いだ。彼はコポオのヴイウ・コロンビエ座で共に働き、やがて現在の一座をつくった。ファンテェジイと機智(エスプリ)を、彼ほど巧みに舞台に生かす演出者はあるまい。
当時の私は16歳。はるか後年、評伝『ルイ・ジュヴエ』を書いた。
はじめて、岩田 豊雄を読んだときとは比較にならないほど多くの知識を身につけていたが、私の書いた評伝は、岩田 豊雄が書いた部分からそれほど遠いものではなかった。
私の評伝の出版がきまったとき、女の子たちといっしょに岩田 豊雄の墓に詣でた。
生前の岩田さんの知遇を受ける機会はなかったが、自分なりに感謝をこめて挨拶したのだった。