浮世絵は、無数の遊女を描いてきた。
それぞれ時代の違い、あるいは美意識の違いによって、遊女たちの絵姿がことなる。これは当然のことだが、現在の私たちが毎日見ている女性像、あるいは顔の目鼻だちとは、ずいぶん違っている。
その時代、全盛を誇った女たちを描いたに違いないのだが、私にはあまり魅力が感じられない。どうしてだろう? その前に、そもそも美女とはいったいどういうものなのか。
私が読んだなかで、この問題に明快な答えを出している人がいた。張 競という中国の学者で、比較文化論を専攻なさって、日本語による著作も多数ある。
日本と同じように、昔中国の絵画、彫刻にあらわれた美人は例外なく一重まぶたであった。ところが、明代以降になって、二重まぶたの美人が描かれるようになった。(中略)ほかの年画でも二重まぶたは美貌の象徴として描かれている。むろん、二重まぶたが一重まぶたよりも美しい、という審美観がすでに成立していたかどうかは断言できない。少なくとも二重まぶたも美しいとされ、しかもそれは近代西洋文化の影響と関係がなかったことはまちがいない。
『美女とは何か』(第三章)角川文庫版 P.111
これを読んで、モンゴロイド系に属する日本人が、一重まぶたの女性を美しいと見てきたことを納得した。
一般に、日本人が、二重まぶたの女性を美しいと認識するようになったのは、明治30年代後期、ないしは40年代に入ってからかも知れない。
明治40年代、赤坂の名妓、「万龍」や、新橋の名妓、「清香」をえがいたポスターでは、ふたりともはっきり二重まぶたの美人である。
その後、初期ハリウッドの無声映画に登場したマック・セネットの水着美人、ジーグフェルド・フォーリーズの美女たち、さらに、メァリ・ピックフォード、ノーマ・タルマッジ、MMM(メァリ・マイルズ・ミンター)といったニンフェットたちが、例外なく二重まぶただったことから、私たちの美人観は確立して行ったのだろう。
張 競先生のおかげで、今年は、そのあたりのことを考えてみようか。