紅白歌合戦などというものがなかった時分、下町の大晦日は、どこの家でも夜通し起きていた。夜になってから、借金とり、掛けとりがきたり、正月のお料理の仕度をしたり、掃除が終わっていなかったり、けっこう忙しい。子どもたちは、年越しそばを食べたあと、火鉢に手をあぶりながら、みかんを食べたり、カキ餅を網に乗せて焼けるのを待っている。
初夢は一月一日の晩に見るものと思っていたが、いつ頃からか、二日の晩に見る夢ということを知った。七福神が乗っている宝船の刷りものを、朝から売り歩く男がいて、縁起ものだから、これを枕の下に敷いてねるのだった。
ただし、少年の夢には、一富士、二鷹、三なすびなど一度もあらわれなかった。翌朝、眼がさめて、いつもがっかりしたものだった。
ふく神を乗せた娘の宝船
という川柳がある。この「ふく神」は、明治時代から富貴紙という名前で売られていたらしい。やわらかい上質の和紙。これ以上、説明する必要はない。