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 ある日、トルストイがチェーホフに向かって、こんなことをいったという。

 「君はなかなかいい人間で、私も君が好きだ。君も知っての通り、私はシェイクスピアってやつが、我慢がならぬ。それでも、あいつの戯曲は、きみの芝居よりはましだ。」

 このエピソードを知って、一日じゅう愉快な気分になった。
 トルストイが、チェーホフのどの戯曲に言及しているのか知らないが、かりに『桜の園』や『ワーニャ伯父さん』をくさしたとしてもこの話はおもしろい。
 チェーホフは、どんな顔をしたのだろう?

 かりに、私がえらい作家にとっつかまって、

 「君はなかなかいいやつで、私も君が好きだ。君も知っての通り、私はルネッサンスという時代が、我慢がならぬ。それでも、マキャヴェッリの芝居は、きみの書く評伝よりはずっとましだ。」

 といわれたら、どうしようか。
 どうもすみません。ペコリと頭をさげて逃げ出すだろう。

 「君はろくなやつではないし、私は君が嫌いだ。なにしろ、私は芝居も役者も、我慢がならぬ。それでも、団十郎の芝居は、きみの書いたルイ・ジュヴェ評伝よりはずっとましだ。」

 こんなことばを浴びせられたらこっちもキレる。さて、どうなるか。
 日頃はおとなしい男だが、ほんとうはやたらと短気なのだ。