「プレイボーイ」(’08・10月号)に、マリリン・モンローの記事と写真が掲載されている。有名なイラストレーター、アール・モランのモデルになったときの写真で、わずか2枚だが、久しぶりにマリリンに会えた。
まだ、まるっきり無名のモデルとしての修行時代のマリリン。
アール・モランの短い説明がついていた。
無名のモデルだったマリリンは、はき古した靴をはいていた。あまりボロボロだったので、前にきたモデルの靴を与えたという。
その後、マリリンは、いわゆる「モンロー・デスヌーダ」(ヌード・カレンダー)のスキャンダルをきっかけにスターへの階段をかけ登ってゆく。
やがて、マリリンは「アスファルト・ジャングル」で使った衣裳を、アール・モランに贈ったという。
おそらくほんとうのことだろう。いい話だ。ただ、ここには、おそらくアール・モランが気づいていないことがある。
私は、このみじかい「説明」から、マリリンの人生に関して、いくつかのことを考え、かつ、(私にとって)興味深いことを想像する。
当時、無名のモデルだったマリリンは、毎日、ボロボロにはき古した靴をはいていたこと。なにしろ貧乏だったから買えなかった。誰でもそう思うだろう。
私はもう少し別のことを想像する。自分が日常はいている靴がボロボロになるまではき古しても、気がつかなかったか、気にとめなかったか。靴がボロボロになっても使えるあいだは平気ではいていた、というノンシャランな姿勢。
若い女が、ボロボロになるまで靴をはき古しても、気がつかなかったとは考えられないだろう。しかし、当時、マリリンは、イタリアの名女優、エレオノーラ・デューゼの評伝を読んで感動していた。そのデューゼに私淑していたマリリンが、無名の頃の名女優・デューゼが、それこそ食うや食わずで切磋琢磨していたことに心を動かされていた、と見てもいい。
私としては、当時のマリリンはもう少しあっけらかんとしていたかも知れないと思う。自分のはいている靴がボロボロになっても、そのうち誰かが買ってくれるだろう、ぐらいに考えていたとしても不思議ではない。マリリンには、そういういい加減さ、図太さ、わるくいえば自堕落なところがある。そこが、マリリンの可愛らしさでもあるのだが。
「プレイボーイ」に出た写真のマリリンはわかわかしい。アンドレ・ド・ディーンズの写真よりはあと、トム・ケリーの写真よりは前。その1枚は、めずらしいスナップショット。マリリンが、ちょっと口を尖がらせている。こうした sulky な表情のマリリンはめずらしい。といっても、怒っているわけではない。もっと幼いシャーリー・テンプルが、よく見せる不機嫌な表情に近いもの。むろん、マリリンはハリウッド・ニンフェットではない。
アール・モランが何も気づいていないこと。
――「アスファルト・ジャングル」の衣裳を、アール・モランに贈ったという一節に私は注目する。むろん、感謝の心をこめて贈ったはずだが、はたして、自分がスターレットとして「アスファルト・ジャングル」の大きな役をつかんだという報告のために贈ったのか。
マリリンが恋人だったフレッド・カーガー、アーサー・ミラーの父親、イシドア・ミラー、あるいはイヴ・モンタンに贈ったものを思い出してみると、これはなかなかおもしろい。