昼間、小川 茂久と会うことはめずらしかった。たいていは、どこかの喫茶店にもぐり込んで、いそぎの原稿を書いたり、暇さえあれば古書店を歩いていた。昼間、小川の研究室に顔を出したこともない。だから、昼間、キャンパスで偶然に出会うこともなかった。
一度、文学部の事務室で、偶然に彼を見かけた。
昼間なので、行きつけの酒場も居酒屋も開いていない。
「メシにしようか」
「うん、そうするか」
「弓月」の近くの寿司屋に行った。小川の行きつけの店だった。
あるじは、大柄で、江戸前の寿司が自慢らしい不敵な面がまえだった。
けっこういいネタだった。
小川が、店のあるじに私を紹介した。
「このひとは、マリリン・モンローの研究家なんだよ」
あるじは、私を見ずに、ふてぶてしい口調で、
「あっしは嫌いだね、ああいう淫売みてえな女」
私は黙って立ちあがると、
「すまねえが、先に帰らしてもらうよ」
店を出た。不愉快な気分を顔には出さなかった。小川があとを追って出てくることはわかっていた。そのまま神保町に出て、私の行きつけの店であらためて小川と寿司を食べた。このとき、マリリンのことは話題にしなかった。
たかが、寿司屋のあるじ風情が、マリリン・モンローを嫌っていても、小川にもおれにも関係はない。ただ、客の顔を逆撫でするようなセリフを浴びせるのが、江戸っ子の心意気だなぞと思い込んでいる根性が下司であった。
神田は猿楽町に住んでいやがっても江戸っ子の風上にも置けねえ野郎め。
その店には二度と行ったことがない。