八月になった。北京オリンピックが開催される。
夏休みなので、本を読むつもりだが、こう暑いと本も読めない。
手もとにある歌集、句集をひもとく。川柳でもいい。
むろん、全部読むわけではなく、ところどころ目にとまったものを、掌にころがすようにして眺める。だから読書というより、気ままな暑気払い。
8月1日。八朔(はっさく)である。
八朔の 雪見もころぶところまで。
おもわずニヤリ。
もっとも、これを読んで、ただちに白無垢の小袖を連想する人はいないだろう。私だって、戦前の「なか」を見てはいるが、この習慣を実見しているわけではない。
八朔の雪 物尺でつもる也
これはむずかしい。ちょっと考えて、ニヤリ。
一里づつ 行けば木へんに夏木立
街道筋に道標としてエノキの木が植えてあったらしい。
その頃、文屋という職業があったらしい。飛脚は、遠方に手紙を届けるのだが、文屋は近場に手紙などを届ける。
文使い うそもまことも ひとつかみ
この「文使い(ふみづかい)」も文屋のこと。
私はもの書き。たいしたもの書きじゃないが、文章を書くことでたつきを立ててきたのだから(誤用を承知で)自分を「文使い(ふみつかい)」と称している。だから、このHPに書く文章は、「うそもまことも ひとつかみ」。