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 日曜日、NHKの大河ドラマ「篤姫」を見ている。宮崎 あおいのファンなので。
 いずれ公武合体の話から、皇女和宮が登場してくるだろう。どんな女優がやるのだろうか。
 金剛 右京の「能楽芸談」を読んでいて、おもしろいエビソードを見つけた。
 明治になって、能楽に衰退のきざしが見えていた頃の話だろう。金剛 氏重(右京さんの大伯父にあたる)が、黒田侯の屋敷で「融(とおる)」の袴能をつとめた。このとき、春藤 六右衛門がワキをつとめた。

 この能に、名所教(めいしをおしえ)というところがある。さしづめ、シテのサワリというべき部分。

    音羽山 音に聞きつつ 逢坂の 関のこなたに とは詠みたれども 彼方にあたれば 逢坂の 山は音羽の峯に隠れて この辺よりは 見へぬなり・・

 これを、六右衛門がすっかり謡(うた)ってしまった。ほんらい、シテの謡(うた)うところである。
 地謡、囃子かたは、もとより、居並ぶ貴顕のかたがたもこれにはおどろいて、さて、この場をどう収拾するのか、シテの金剛 氏重にいっせいに注目した。
 氏重も六右衛門の失策に仰天したには違いないが、すかさず、

    のうのう、御僧、それはこなたにて 申すことに候。

 と、ふっておいて、

    仰せのごとく 関のこなたに とは詠みたれども・・

 とつづけた。これで、こんどは六右衛門も自分の失策に気づいて、赤面したらしい。当時、幼かった右京はこれを見て、六右衛門のようすは今でも気の毒に思うと書いている。
 舞台で、相手のセリフと自分のセリフをとりちがえる、そんなトチリをずいぶん見てきた。自分の演出した舞台では、じたんだを踏んでも間にあわない。

 この氏重でさえ、生涯ただ一度失敗したことがある。
 幕末、皇女和宮が、徳川 家茂に御降嫁のみぎり、「摂待(せったい)」の能が出た。 シテは、金剛 唯一。氏重は、ツレの「兼房」をつとめたが、なにしろ前代未聞のもよおしに緊張したのか、氏重はシビレを切らせて、席から立ちあがれなかったという。

 私はこんな話を読むのが好きなのである。