私が書くのは岸本 佐知子編訳の『変愛小説集』の書評ではない。
アンソロジストとして、こういう作品ばかり選んで訳している岸本 佐知子の感性に敬意をもっているのだが、この『変愛小説集』の周辺をめぐって、しばらく気ままに歩いてみたいと思う。
ずいぶん昔、あたらしいミステリーに、それまで存在しなかったストーリー・テリングの妙、意外な展開、しばしば想像もつかないオチをもった短編が登場してきた。これを、江戸川 乱歩が概括して「奇妙な味」と呼んだことがある。たとえば、ロアルド・ダール、あるいはチャールズ・ボーモントなどの作品がこれにあたるのだが、『変愛小説集』のどの一編をとりあげても「奇妙な味」どころではない。
ここにとりあげられている作家たちは、自分の想像力の赴くままにふる舞っている。作家たちは、自分の描くシチュエーションが「変」なものとは思っていないので、それぞれが自分の思考のバイアスを見定め、それをいわば圧縮して、そのかたちの「変」性をさだめるためにしか書かない。これは、すごいとしかいえない。
私小説を最高の文学と思っているような連中には、おそらく何も見えてこないだろうと思う。これはもう「奇妙な味」どころか、それぞれが比較しようのない味としかいいようがない。
私は、この短編集をいっきに読みつづけるのがもったいなくて、毎日1編づつ、たいせつに読みつづけた。まるで、おいしいケーキを、一個づつ食べるようにして。
毎日、かなり多数の本を読みつづけてきた私が、こういう読書法をはじめて自分に強制したことでも、この『変愛小説集』がどんなに特別な作品集かわかってもらえるかも知れない。