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 目下、あたらしい仕事の準備にかかっていて、いろいろ資料を読んでいるのだが、ふだん、考えたこともないようなことが、ひょっこり心に顔を出す。ときには、資料と無関係に昔のことを思い出す。

 これもボケた証拠かも。

 たとえば、『権三と助十』を見た思い出。
 アメリカ相手の戦争がはじまるほんの少し前のこと。私は中学生になったばかり。夏休み、歌舞伎座につれて行かれた。
 このとき見たのが『権三と助十』で、ミステリー仕立ての話だった。これに若い娘の悲劇と、大岡越前のお裁きが絡んで、最後にはカゴかきの権三と助十の活躍で万事解決。
 岡本 綺堂の原作だが、金子 洋文が脚色したもの。

 「権三」は猿之助。「助十」は寿美蔵。
 ふたりのカゴに乗ってくるのが、大工の娘、「お千代」。これが訥升。ところが、悪者があらわれて、「お千代」はさらわれる。「権三」も「助十」も逃げてしまう。脚色がよくないのか、芝居のメイン・プロットがゴタついて、中学生の私には話の内容もよくわからなかった。

 ただ、訥升を演じた娘が綺麗で、悪人どもにつかまったら何をされるかわからない、落花狼藉(らっかろうぜき)の意味が中学生の胸に押し寄せてきた。いまのことばでいえば、「キュン死に」しそう。(笑)。

 この若い娘が引ったてられたあと、「権三」と「助十」が、現場にこわごわ戻ってくる。とたんに、
 きゃッ、人殺し!
 と、悲鳴があがって、またまた「権三」と「助十」は腰をぬかす。
 「おい、相棒、おれゃぁ、人殺しが大嫌いなんだよ」
 「人殺しの好きなヤツが、どこにいるもんか」
 「権三」が「助十」を抱き起こすと、裏木戸から犯人がスーッと出てくる。すぐ近くの用水で匕首にべっとりついた血を洗いながして、闇のなかに消えて行く。
 この犯人が八百蔵。

 芝居ってものハおもしろいなあ。これまでとは違った眼で芝居を見るようになった。
 いつか、ほんものの役者がやれる脚本(ほん)を書いてみよう。やってくれるならどこの小屋、どんな役者でもよかった。

 ときに昭和15年。(1940年)。