いまの団十郎を見ながら、昔の、明治の団十郎のことを考える。むろん、私は見たことはない。
今は、まったくきかなくなったが、昔の役者の職業病の一つに鉛毒があった。
役者ではないが、画家のルノワールが、晩年、鉛毒のため、絵筆がもてなくなって、右手に筆をくくりつけて描いていた。
役者の鉛毒については、舟橋 聖一の『田之助紅』にくわしい。先代の歌右衛門も、若い時分から鉛毒におかされていたし、先々代の団十郎も鉛毒だった。
戦後になっても、エノケンが鉛毒で苦しんでいたことが知られている。
団十郎は女形ではなかったから、鉛毒がよくなってからはあまり白塗りをせずにすんだが、歌右衛門はそうはいかない。無鉛の白粉(おしろい)を選んで使ったらしい。それでも、やはりからだによくなかった。
化粧については、役者それぞれに好みがあって、化粧法も千差万別だが、若い頃の団十郎は鉄の鏡を使っていた。
歌右衛門がわきからのぞいて見ると、曇ったようにぼんやりしている。
「おじさん、こんなに曇っていて見えるんですか」
と訊いた。団十郎は、
「あんまり明るいと、化粧しても果てしがないから、このくらいでちょうどいい」
後年、団十郎も、ガラスの鏡に変えたが、それでも化粧は荒いほうだったという。
昔の舞台は照明の輝度も低かったから、お化粧も簡単ですんだらしい。
『ルイ・ジュヴェ』を書いた時期、ジュヴェがモリエールの『ドン・ジュアン』を演出した章で――モリエールの「パレ・ロワイヤル」の舞台はローソクが百個ばかり、これに対して、ジュヴェの舞台は、照明の光度、輝度だけで、五百倍だったことにふれた。
私はふれなかったが、この時期から、フランスの俳優、女優のマキアージュ(メーキャップ)の方法も違ってくる。
そんなことを考えているうちに、「コメディー・フランセーズ」の名優だったマックス・デアリーが、晩年苦しんでいた病気は鉛毒ではなかったのか、と思いあたった。
ここに書く必要もないけれど、このまま忘れてしまうのも惜しいので書きとめておく。