ルイ・ジュヴェはモリエールを多く上演している。『ルイ・ジュヴェ』を書いていた時期、私がモリエールを熱心に読んだのは当然だろう。
ジュヴェは「コメディー・フランセーズ」に乗り込んだとき、コルネイユを上演した。そのあたりの事情を書く必要があって、コルネイユも読んだ。ずいぶん熱心に読んだつもりだが、勉強にはならなかった。
あまりピンとこなかったというのが実状だった。わからなかったといったほうがいい。(モリエールがわかった、というわけではない。)
コルネイユは『ぺルタリト』の序で、
二十年におよんで労作をつづけてきたが、今の世にもてはやされるにしては、私はあまりに老いたと気がつきはじめている。
と書いている。いたましい告白だった。
この芝居に失敗したコルネイユは、これ以後、劇作家として衰えを見せる。
いま、私は久しぶりにあたらしい評伝を書きはじめる準備にとりかかっている。
まったく自信はない。ただ、あたらしい評伝を書きはじめるといっておいて、書かなかったら、引っ込みがつかない。だから、そういっておく。
もともと才能のないもの書きなので、コルネイユのように悲痛な告白をする必要がない。何十年におよぶ労作をつづけてきたわけでもないし、世にもてはやされるようなものは一つも書けなかった。むろん、これからも書けるはずがない。
こんどの評伝も芝居者にかかわるものだが、さて、どうなることか。