ジャック・ニコルソンが、「おれはねっから暗い人間だよ」といったことから、まったく違う役者を思い出した。白猿である。昔の役者。
寛政五年、名跡を息子にゆずっている。
ある日、彼のもとを訪れた山東 京伝、弟の山東 京山、狂歌仲間の鹿都辺 真顔にむかって、
昨日もおしろいつけさせつつ涙をおとし候。それはいかんとなれば、御素人様ならば伜へ家業をゆづり隠居をもすべき歳なり。然るにいやしき役者の家に生れし故、歳にも恥ぢず女の真似するはいかなる因果ぞと、しきりに落涙いたし候。役者としてここに心づきては芸にもつやなく永く舞台はつとまらぬものなりと、嘆息して語りけるに、はたして二三年の後寺島村(あざな向じま)に隠居せり。
京山が書いているのだから信用していい。
「いやしき役者の家に生れ」たという自覚は、逆に、書きたいことを書き散らして、風雅に生きる芸術家の姿勢につながる。
何ことも古き世のみぞしたはしき。今様は無下にいやしくこそなりゆくめれ。
いにしへは車もたげよ、火かかげよといひしを……今時はもちやげろ、かきたてろもすさまじいじやあねへじやあねへかゑ。
白猿は、五世、市川 団十郎。向島須崎に隠居、反古庵というペンネームで、「日々の楽(たのしみ)はただ筆をとりてそこはかとなく反古の裏に書(かき)つづりて」気のあった友だちにあたえたという。
今だったら、HPや、ブログをやっているかも。
戦前、須崎は私の家から歩いて五、六分。少年時代の堀 辰雄が住んでいたあたりはもう少し遠く、あと二、三分ほどの距離。
この団十郎は私が見るはずもない江戸の役者だが、もの書きとしての反古庵にはひそかな敬意をもっている。たとえば、「一きは心うきたつは春のけしきにこそ」と前書きして
鶯に 此頃つづく朝寝かな
さすがは、白猿さん。なかなかのものですなあ。