思いつくままに、私が関心をもっている女優をあげてみよう。
池脇 千鶴、上戸 彩。加藤 あい、菅野 美穂、木内 晶子。菊川 怜。京野 ことみ。国生 さゆり。
柴崎 コウ。鈴木 京香、田中 麗奈、中谷 美紀、西田 尚美。
広末 涼子、堀北 真希。松 たか子、松嶋 菜々子、松雪 泰子。
宮崎 あおい。宮沢 りえ、矢田 亜希子、優香。
ほかに、いくらでもあげることができよう。
このなかには、舞台でも見た女優も多い。
それぞれの女優の魅力。ことばではつたえにくい。
たとえば、クリスティーナ・リッチについて。
ぼくがクリスティーナを好きな理由は、彼女が活動写真の雰囲気をもっていることなんだ。なんともいえないフワフワした感じ。この役には、クリスティーナがもっているはっきりしないクォリテイーが絶対に必要だったと、今でも思っている。彼女を見ていると、皆何かを感じるんだけど、それが何なのかわからない。ぼくにとっては、いや、この映画にとっては、それこそがすごーく大事な部分だったのさ。こういうクォリテイーはなかなかめずらしいもので、誰もがもっているものではない。これこそ、映画をマジカルにするクォリテイーだと思うんだ。
ティム・バートンが「スリーピー・ホロウ」について語ったことば。
「なんともいえないフワフワした感じ」では何の説明にもなっていないけれど、クリスティーナ・リッチという女優さんには、なぜかぴったりする。
こういうことばは、語っている本人でもうまく説明がつかないのに、聞いているこちらがなんとなく納得してしまう、つまりは女優の魅力がはじめから論理的に説明しにくいからだろう。
おなじ映画に出たリサ・マリーについて、ティム・バートンが何も語っていないことが気になるのだが、リサ・マリーについてはこんなふうにはいえなかったのかも知れない。そのあたり、私には別の興味がある。(こんなふうに考えるのが、批評家の習性なのである。)ウフフ。
ある時期、ある若い女優に、「なんともいえない「香気」(フレグランス)がたちこめることがある。その「香気」(フレグランス)は、いわば一過性のものでもあって、その女優が演技的に向上するにつれて、いつしか「なんとなく」消えてしまうことも多い。
たとえば、「ほんとうのジャクリーヌ・デュ・プレ」のエミリー・ワトスン。
私としては、できればそういう瞬間の女優について書いておきたいのだが、これがとてもむずかしい。