我が家の庭で、冬の終わりからミモザがあざやかな黄色を見せる。
そのつぎに、辛夷(こぶし)が春のきざしを告げるかのように咲く。ほのかなピンクを帯びた白い花である。堀 辰雄の『大和路・信濃路』に美しく描かれている。
そして、梅。
少し遅れて、海棠が花をつける。
この海棠は、友人の小川 茂久が、亡くなる前日に私に贈ってくれたもの。
私は、評伝『ルイ・ジュヴェ』を書きあげたばかりだった。小川の危篤を知らされて、いそいで川越、小仙波のマンションに向かったのだった。
もはや死期も近かった彼は、私が長期間、書き続けてきた作品がやっと完成したことを告げると、声もなくうなづいてくれた。その眼に輝きがあった。
その日、彼は形見の品をわたしてくれたが、病床に飾ってあった海棠の鉢も贈ってくれたのだった。
一度、帰宅した私を追いかけて、小川の絶命が知らされた。私は、葬儀に出る支度をして、また川越に向かった。二月二十八日だった。
あれから十年になる。
海棠は、やがて鉢から庭に移した。今はずいぶん大きくなっている。毎年三月、私は海棠の花をみながら、小川 茂久という親友を得た生涯のしあわせを思う。
海棠より少し先に白木蓮。
咲きはじめたばかりの木蓮の白ほど美しいものはない。シクラメンの白など、比較にもならない。白木蓮の白は、たとえようもないほど豪奢な色彩といっていい。だが、この白の豪奢は、ほんの一日、せいぜい二日しかつづかない。
またとない豪奢な白がみるみるうちにごくありきたりの白に変化する。散りしいた花びらは無残に散って、たちまち汚れ、褐色に褪せてしまう。
清純な処女が、あわれ、たまゆらにその美を喪失してしまうよう。
Every night and Every morn
Some to misery are born:
ふと、ブレイクの一節(「ロング・ジョン・ブラウン/リトル・メァリ・ベル」)を思い出す。
それぞれの時代を彩った女優たちを連想する。