783

 外国語の小説を読むことが少なくなってきた。
 外国の小説を読んで感心することがなくなってきた、というのは、こちらの感性がにぶくなったせいだが、さりとて翻訳を読まなくなったわけではない。

 ときどき昔の作家のものを読む。

    「過去二十年、私はおびただしい短編を書いてきた――少なくとも、この本におさめたものの三倍も書いている。ある作品は愛のために書いたし、お金のために書いたものもある。怒りをぶちまけるために書いたり、共感や悲しみを、ときには絶望から書いたものもある。こうした作品を書いた動機が何であれ、いつも一つ、共通していたことがある。私はこの小説たちを書きたかったのだ。

 こう書いたのは、女流作家のケイ・ボイル。

 寝る前に1編を読む。とてもいい作品が多い。いい作品を読むと、ぐっすり眠れる。朝、眼がさめたとき、ストーリーの内容をだいたいおぼえていれば、その作品は私にとっていい作品なのである。
 忘れてしまったら、たいした作品ではなかったと思えばいい。
 どうせ、もう二度と読まないのだから。