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 マンガ家の安西 水丸が、歌舞伎を見て、
 「紫の病鉢巻(普通は左側に結ぶのがきまりだが、助六は、これが当時の江戸っ子というのか、今見ると奇妙な男だ)。この芝居は何度か見ているが、いつも退屈してしまう。正直に書くとどこがおもしろいのかわからないのである。――」
 と、書いていた。
 正直でいい。もともと「助六」は、退屈で、どこがおもしろいのかわからない芝居なのだ。

 初演の「助六」は、一幕で半日かかったという。これでは、いくら江戸っ子だって、たいてい退屈してしまう。なぜ、そんなに時間がかかったのか。ようするに「演出」の問題と理解していい。
 大道具を一杯に飾る。今なら裏方の技術も高度なものになっているし、各自の分担も手順よく細分化されている。劇場によっては、舞台転換もコンピュータ処理ができるけれど、昔の劇場(こや)では一度飾ったら、むやみに装置をバラせない。
 そこで、作者先生も一杯の道具のなかに、いろいろな要素を盛り込む。
 かんぺらや、朝顔、白酒、みんなコミックな要素をもっている。それが、長いあいだに、俳優の工夫も重なってどんどん整理され、今のかたちに昇華してきたと見てよい。

 竹田 出雲からあと、宝暦あたりから、上方、関東、いずれも台本の恰好がおなじようになったのも、秋成、源内、南畝、あるいは『柳多留』の登場した時代を反映していたのか。

 安西 水丸のことばから、あらぬことまで考えてしまった。