映画監督の市川 崑が亡くなった。
記録映画「東京オリンピック」は彼の代表作。
この映画は日本の「戦後」を描いたものといってよい。前半、オリンポスの聖火が日本の各地のランナーにうけつがれて、東京に向かう。その聖火を見つめる人々の胸にあったものは、映画のなかでじゅうぶんに表現されていた。
ところが、完成したこの映画の試写を見た、当時、五輪担当だった河野 一郎が激怒したという。
ようするに、記録映画は、スポーツの勝敗を記録すべきものであって、映画芸術であるドキュメントである必要はない、という意向だったらしい。
市川 崑は、河野 一郎に会って、説明や弁明をしたという。
私は、政治家、河野 一郎をいささかも尊敬していない。
もう少し前には、谷崎 潤一郎の『鍵』を、猥褻として告発しようとした世耕某というクズがいた。
また、戦後、カンヌ映画祭に日本映画が出品されるようになって、日本の女優たちも映画祭に出席するようになった。このとき、ファッションのつもりで黄八丈、黒繻子の帯で出席した若い女優を下品だといって罵倒した大野某といったやからが、政治家としてハバをきかしていた。
私は世耕某、大野某といった連中にいささかも敬意をもたない。現在、世耕、大野、河野などといった連中など誰もおぼえていないだろう。私はよくおぼえている。
私は、ドキュメント「東京オリンピック」を日本映画の誇りと思っている。