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1942年(昭和17年)、六代目(尾上 菊五郎)が、三日間、芝居を休んだ。小さなニュースだったが、六代目が芝居を休むというのは、当時、歌舞伎ファンのあいだでは、いろいろととり沙汰されたものである。
 私は、中学二年生。このときのことは、いまでもおぼえている。もう、太平洋戦争が起きていた。
 六代目のやっていた「お軽」は家橘、「吾妻」は菊之助がかわった。

    此間(このあいだ)臍の横へにきびの大きい位な腫物が出来て、それに黴菌が入って、急に大きく腫れ上がったが、あれには驚きましたね。何でも蜂窩織炎とかいふ非常に性質(たち)のわるいものだそうで、これを放って置くとあの恐ろしい命取りの敗血症になるといふことですから、すぐに手術して貰ったんですが、黴菌てやつア却々(なかなか)こはいものですね。

 菊五郎のことば。インタヴューに答えて。

 私も、蜂窩織炎をやったことがある。私は、ある劇団で講義をしながら、翻訳の仕事をする。1冊ミステリーを訳すと、すぐつぎに別のジャンルのものを訳す、その合間に演出をする、といった日常だった。
 かなりハードなスケデュールがつづいていた。

 腰骨の上に小さな腫れものができたが、みるみるうちにふくれあがってきた。痛みがひどくて、二日二晩、まるで眠れなかった。
 ちょうど、ある長編の翻訳をしていたが、原稿は一枚も書けなかった。

 けっきょく、近くの外科の診察をうけて、すぐに手術してもらった。
 メスで切ったところにピンセットを突きたてて、グイッと病巣を引きずり出す。ブドウ状球菌の塊りをひっぱり出したが、長さが20センチ以上もあって、不思議な植物のように見えた。

 手術したあとも足をひきずって歩いた。
 ある編集者が、私のようすを見るなり、ニヤリと笑って、
 「出ましたね」
 とヌカした。

 その後しばらくして、この編集者は亡くなった。ある大出版社の名編集者だったが。
 何かのことで、からだじゅう黴菌だらけになったという。

 このとき「黴菌てやつア却々(なかなか)こはいものですね」と実感した。