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巫山の夢を結ぶ。説明の必要はない。

 ある日、『霍小玉伝』を読んでいて、「巫山・洛浦」ということばに出会った。

 主人公「李生」が美女と契りをかわす。「羅衣を解くの際、態に餘妍あり」という女性を相手に、幃を垂れ、枕を近づけ、その歓愛をきわめる。
 「李生」思えらく、「巫山・洛浦も過ぎず」と。

 「高唐賦」に、楚の「襄王」が巫山の神女とセックスしたことが出ている。だから、巫山の夢。
 もう一方は、魏の「陳思王」、曹植が洛浦の神女とセックスしたことによる。
「李生」は、「巫山・洛浦のよろこびも自分と『小玉』の性愛にはおよばない」と思う。
 私のような男には、なんともうらやましい話。

 真喜志 順子の訳した『神々の物語』(’07.12.31刊 3600円/ 柏書房)を読む。これは神話の世界をわかりやすく解析したもの。ユング派の精神分析が専門のリズ・グリーンと、同僚のジュリエット・シャーマン・バークの共著。
 その第三部は「恋愛」について。
 たとえば、「エコー」と「ナルキッソス」では、自己愛の悲劇。「キュベレ」と「アティックス」では、独占欲の危険。
 第二章では、「ゼウス」と「ヘラ」の結婚、「アーサー王」と「グウェネヴィア王妃」といった苦悩にみちた「関係」が描かれる。

 私は、気が向いたときに、おいしい料理を一品だけ食べるようにして、『神々の物語』を読み続ける。その合間に、ときどき「唐代伝奇」を読む。これは、おいしい酒を一杯だけ口にふくむようにして。