2月10日、作家の高野 裕美子(翻訳家・長井 裕美子)が亡くなった。
この思いがけない不幸を知らせてくれたのは、早川 麻百合だった。新聞に出ているという。いそいで、夕刊のオービチュアリーを見た。
作家、高野 裕美子氏は、10日、くも膜下出血で死去。50歳。
翻訳家を経て作家になり、1999年、「サイレント・ナイト」で第3回、日本ミステリー文学大賞・新人賞を受賞した。
私は、しばらく茫然とした。
長井 裕美子は、「バベル」という翻訳家養成を専門とするスクールで、私のクラスで勉強していた。同期に、羽田 詩津子、早川 麻百合、立石 光子などがいる。いずれも、すぐれた翻訳家として知られる。
もともとフランス語が専門だったが、英語も堪能で、私のクラスには二年ばかり通っていたのではないかと思う。
当時、私のクラスでは、毎月1編、さまざまなジャンル、さまざまな作風の短編を読んでいた。当然ながら、原文の難易度、スタイルも千差万別だった。私としては――それぞれの生徒がどういうジャンルの翻訳にも対応できるように、できるだけ多種多様な作家、作品を読ませたいと思っていた。翻訳する側の資質、文学的な好み、傾向といったものよりも、どういう作品であれ、翻訳を依頼された場合、それにまっこうから立ち向かうのが、若い翻訳者の必須条件なのだから。
長井 裕美子も、それまで読んだことのない作家をつぎつぎに読み、かつ、訳すことで、たとえ漠然とであっても、おのれの方向性といったものを身につけようと努力していたはずである。
私のクラスを出て、すぐにプロフェッショナルとして翻訳をはじめた。私は、彼女が着実に仕事を続けていることをよろこんでいた。
やがて、思いがけないことに、小説、それもミステリーを書きはじめた。構成も文章もしっかりした、重厚な長編の本格的なミステリーで、私は彼女の才能のみごとな開花に驚嘆したのだった。私が教えた生徒たちから翻訳家は輩出している。私が小説を書くようにすすめて、小説を出版した人も多い。しかし、プロフェッショナルな作家になったのは、彼女が三人目だった。
私は「高野 裕美子」にいつも関心と敬意をもって読んできたのだった。
彼女が作家として、今後ともすぐれた作品を書きつづけるものと期待していたが、思いがけない訃報に打ちのめされた。今は追悼のことばもない。
たまたま「NEXUS」(47号)の締切りだったので、追悼のことばを書く余裕がなかった。そこで田栗 美奈子、笠井 英子の努力で、「翻訳について」私が書いた小文をあつめた。これを発表する。
長井 裕美子たちのクラスで、こんなことを考えていた私自身をあらためて見つめ直す意味で集めただけのことだが。
長井 裕美子のご冥福を祈る。
2008年2月15日