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論文の一節。

   中世の選ばれた指導者である騎士たちは、文字を書くことは一介の書記の仕事で、自分の思想さえあれば充分であると考えて、自分の思想と他人の思想を混ぜ合わせることをいさぎよしとしない人たちから見向きもされないものであるとみなした。

 ある歴史論文の訳の一節。まるっきり読みにくいわけではないが、一読ただちに頭に入ってくる訳ではない。著者の論点の明確さも、訳者の個性も感じられない。
 たとえば、つぎのように訳したらどうだろうか。

   中世、選ばれたエリートとしての騎士たちは、文字を書くことは祐筆にまかせておけばいいと思っていたし、わが身におのれの思想を堅持すれば、他人の思想をおのれの思想に混ぜ合わせるなど笑止なわざくれと見ていたのだった。

 私の考える「クリエーティヴな訳」がどういうものか、少しはおわかりいただけるかも知れない。翻訳はほんらいきわめて創造的な仕事なのだ。