ある時期まで、私はミステリーの翻訳家と見られてきた。かなりたくさんミステリーを訳してきたせいだったろう。
推理小説のおもしろさを知ったのは中学生の頃だった。戦時中のことで、勤労動員にかり出されたため工場の行き帰りにミステリーに読みふけった。
とにかく何でも読んだ。黄色い表紙の「世界探偵小説全集」や、加藤朝鳥訳の「全訳シャルロック・ホルムス」、ルパンやファントマ、アメリカのミステリー、ヴァン・ダインやエラリー・クィーンまで。
英語で最初に読んだのは、戦後になって、ハメットという作家のものだった。ハメットは「マルタの鷹」を書いた作家である。
戦後すぐに神保町の近くで、路傍にゴザをしいて、アメリカ兵の読みすてたポケットブックを並べている古本屋が出た。
アメリカ兵が読みすてたポケットブックや、古雑誌をゴザに並べて売っている古本屋、そこで新しい作家、作品を「発見」するよろこびなど、いまでは想像もつかないだろう。
ここで本をあさっているうちに、ハメットを手にしたのだった。本をパラパラめくっている(読んだわけではない)うちに、やさしそうに見えたのがウンのつきだった。
家に帰ってから辞書を片手に読みはじめたのだが、何が書いてあるのかまったくわからなかった。
当時、そばが十七円、古本のポケットブックが20円。私は、いつも昼食をぬいて、本を買って読んだ。新刊のポケットブックが買えるようになったのは1947年からだが、一冊4百円もした。(当時、円の為替レートは対ドル、1ドル=360円。これほどの暴利をむさぼった輸入商の名は、チャールズ・E・タトルという。聞きおぼえのある人もいるだろう。)
私は、ハメット「発見」から手あたりしだいに、アメリカ小説を読みはじめた。こうして読みつづけているうちに、その作家について、文体のやさしさ、むずかしさ、作風についてもなんとなく見当がつくようになってきた。
やがて、ヘミングウェイという作家を「発見」した。私は、当時、すでに批評を書きはじめていた。ある劇団の俳優養成所の講師をやっていた。そこで、俳優の朗読用のテキストにヘミングウェイを訳したのだった。
私の最初の翻訳は「キリマンジャロの雪」という中編だった。
◆ 2008/01/20(Sun) 754
--旧作句集--
こんなものを発表するのはおこがましいのだが、ある時期、うろうろしていた私の姿があらわれているような気がする。
春なれや 青楼残るいなかまち
もう、どこの町だったかおぼえていない。ひどく古びた木造建築の前を歩いて、ふと、入口の破風作りに気がついた。ほう、ここに遊廓があったのか。
友人の竹内 紀吉君と会う。すぐに自分の書きたい小説のこと、作家の誰かれのこと、最近読んだ作品のことを話してくれる。
夏だったのか。「時の過ぎ行きのあわれさよ」と前書きして、
炎天下 一寸の虫のうずくまる
行水や 手首とりまく白き肌
これもどこで詠んだものか、おぼえていない。
日ざかりを 恐竜展にいそぎけり
大ホールに 恐竜をさす手の扇子
フラッシュに「恐竜」ほえて 子らの夏
白日の夏 恐竜の群れほえ 動く
これは、幕張メッセの「恐竜展」。私は恐竜が好きで、「恐竜展」が開催されればかならず見に行くのだった。
夏の日の彼方 はるかに思うこと
炎天にきて きらめくや美女ひとり
雲はやく動いて 昼の蝉しぐれ
一天にわかに かき曇りつつ蝉の声
この年、初秋、伊那は高遠、平家の落人の里に行く。ある医師の先生の別荘に遊びに行った。この先生のおかげで、いのちびろいをしたのだった。
日まわりの 葉の萎れゐる線路わき
秋空と 路肩頽れし甲斐路かな
停止信号に 庚申塚や ダムの秋
山路きて 平丞相の墓と会う
秋日ざし 絵島の墓というを見る
吉沢正英、集中治療室に入るという。暗澹たる思いがあった。
大手術 風の動かぬ残暑の日
竹内 紀吉君に招かれて、
山々に風立つ秋や 「煕吉庵」
内房の曇り空には 鷹の翔ぶ
秋雨に カラスの翔ぶや 蔵の町
この年の私はよく旅をしていた。山に登らなくなっていたせいもある。
磐梯熱海。志田浜から雨にけむる猪苗代湖の一部を見る。
湖に紅葉のけむる午後なりき
時雨るるや その名も中山峠とか
落ち葉舞う 真昼に 餌を鳩にやる